2010年代、「好きなことで、生きていく」というメッセージが、ミレニアルズを中心にムーブメントとなり、一種の価値観のスタンダードとなりました。趣味と仕事の境界線をなくしながらマネタイズをし、クリエイターとして “自分らしく” 輝くことが「成功」と同義語だった時代とも言えるかもしれません。
しかし2026年現在、その価値観は消失しつつあります。「自由な働き方の象徴」だったはずの言葉が、いつしか「個性と向き合い続け、輝かなければ価値がない」という逃げ場のない同調圧力へと反転したパラドックスになってしまったのです。
ここでは、2026年現在の若者たちの職業観や人生観を紐解いていきたいと思います。
脱・自己実現と実利主義
仕事やビジネスにおける「脱・自己実現」と聞いて、2025年に話題になった「静かな退職(Quiet Quitting)」などと何が異なるのか、と感じた方もいるでしょう。一般に従来のキャリア観は仕事を通じて自己表現や個性を追求することであり、静かな退職(Quiet Quitting)は会社に対する受動的な反抗の意味合いが強かったですが、現代の若者の「脱・自己実現としての労働」は、もっと冷静でプラグマティック(実利主義的)な選択を指します。
仕事にアイデンティティや自分らしさを乗せず、それは「生きるための経済的手段」と割り切る感覚に近いものです。「好きなことで生きろ」という同調圧力が生んだ強迫観念から距離を置き、脳のメモリを消費しない仕事を選ぶ。そんな働き方にシフトしていくことが考えられます。もちろん、頑張って働きたいと考えている優秀な若者もたくさんいますが、仕事に情熱を注ぐことには、それ相応の人生のコストや時間、マインドを消費することを天秤にかけ、冷静に判断しているのです。
パラドックスを断ち切るための「ポスト野心」
キャリアのために情熱を注ぎ、自らの個性を市場(SNS)に売って自己実現を目指すことは一時的には心地よいものですが、後に残るのは、「アルゴリズムに評価される『個性』の型」であり、自分をコントロールできていない虚無感や、自己嫌悪につながるケースが増えました。
「好きなことで、生きていく(人もいるけど、あなたは大丈夫?)」という同調圧力として牙を剥いた現実とも捉えることができます。2020年代に入り、相次ぐテック企業のレイオフや実質賃金の低下を目の当たりにし、どんなに会社や市場に尽くしてもシステムに裏切られるリスクを思い知った彼らにとって、労働に大切な「自分の人生」を奪われることは、必死に回避せざるを得ないことでした。その背景には、「人生を自分で生きられていない」というシステムへの抵抗があるようです。
公私混同か、余白か
振り返ると、スマホやSNSが主流となった2010年代は「いかに仕事と私生活を公私混同させ、好きなことで稼ぐか」という価値観が浸透しました。それらはミレニアルズ的職業観の立ち上がりにも強く影響し、ノマドワークやワーケーションのようなトレンドも生み出しました。
しかしこれからは、仕事は仕事としてパフォーマンスを出しながらも一定プライベートは切り離し、自分の時間を効果的に使って自分を好きになる、そしてまた仕事に集中する、そんな価値観にシフトしていくことが考えられます。
スキマ時間に「副業しなきゃ」「マネタイズしなきゃ」と強迫観念に駆られていた人も、空白の時間こそ自分をととのえるための「余白」と捉え、リフレクションしたり、静かに過ごすことと向き合い始めるでしょう。実際、そのようなソーシャルノイズから離れるメソッドを紹介している書籍も増えつつあります。(一方で、マルチワークをせざるを得ない人が多いなど、経済的な問題とも向き合う必要があります)。
リサーチャーの視点:自己実現の圧力から抜け出し、再起を図る
スマホネイティブであり、SNSを通じて「特別な存在になれる」「好きなことで生きろ」というアテンションと向き合うことが当たり前の世界で育ったZ世代は、ありのままの自分で充足感を満たす経験が十分にできていないのかもしれません。
そんなバックグラウンドを持ちながらも、VUCA社会や経済の悪化、相次ぐレイオフ、さらには「個性でマネタイズせよ」という複雑なプレッシャーに巻き込まれ、いつしか世間のZ世代像とは裏腹に「自信が持てない世代」になりつつありました。
仕事における「脱・自己実現」は、そんな若者たちにとって、強迫観念から解脱し、仕事と自分を切り離しながら、自らのスタイルを育んでいくための自己防衛ムーブメントなのかもしれません。一見冷めているように映る彼らの言動や行動も、まずは「脱・自己実現」から再起に向かっていく文脈として捉えることができるのではないでしょうか。


