なぜ、若者は "群れて"走るのか——「ラン・コミュニティ」再燃の、本当の理由

2026/09/27
ニュースタ!編集部

平日の夜、東京の街におそろいのウェアを着た集団が現れます。合図とともに走り出して、街を一周して、最後はカフェで語り合うなんてことも。
いま、こうしたランニングクルーが、若い世代の新しいカルチャーになりつつあります。

ランニングのブーム自体は、コロナ以前の2010年代からありました。ただ、笹川スポーツ財団の調査によれば、年1回以上ジョギング・ランニングをする人(推計)は、2018年の964万人から、コロナ禍の2020年に1,055万人へ増えたあと、2022年は877万人、2024年は758万人と減っています。つまり「走る人の数が増えた」ことでは、いまの「ラン・コミュニティ」の盛り上がりは説明できません。変わったのは、走ることそのものより、"群れて走ること"が新しい意味を帯びてきた点です。

海外では「新しいマッチングアプリ」として語られる

フィットネスSNSのStravaが公表した「Year in Sport 2024」によれば、ランニングクラブへの参加は世界で59%増えました。続く2025年版では、新しく作られたランニングクラブが3.5倍になっています。海外メディアは、この現象を「新しいマッチングアプリ」として取り上げています。
英LADbible Groupの調査では、ランクラブに参加するZ世代の72%が「新しい人と出会うため」と答えました。Stravaの調査でも、Z世代のほぼ5人に1人が「運動を通じて出会った人とデートしたことがある」と答えています。マッチングアプリの勢いが落ち着く裏で、ラン・コミュニティは「素の自分のまま出会える場所」として選ばれていると読み解けます。

学校で “むりやり走らされた” 記憶が少ない世代

しかし、日本の様子は少し違います。たとえば、渋谷発の「080TOKYO」のようなランニングクルーの台頭や、韓国発の「ランニングコア」というファッションカルチャーの流入を多くのメディアが取り上げています。クルーがオリジナルウェアをつくり、それを着ることが仲間の証になる。推し活の感覚にもどこか似ています。

また、RUNNETの「Z世代ランナーアンケート」によると、20代が走る理由の1位は「走ることが楽しいから」(68.4%)です。全年代を対象にしたアンケートでは、同じ項目は4位にとどまります。RUNNETはその背景として、40代以上のランナーがよく語る「部活で強制的に走らされた」経験が20代には少ないことや、デジタル世代だからこそ身体的な体験を求めていることを挙げています。"やらされ感"の薄い世代が、走ることを"楽しい遊び"として発見しているのです。

もちろん海外と同じように、出会いの文脈がないわけではありません。日本経済新聞は「皇居ランで健康も伴侶も」と、皇居ランが新たな出会いの場になっていると報じました。都心のオフィス街に近いため、同じような属性の人が集まりやすいことも価値になっているようです。マッチングアプリに疲れた人たちが「近い属性の場で、ゆるく閉じて出会う」方向へ回帰している、とも読めます。

満たしているのは「共在」と「報酬」

では、彼らは「走ること」で何を得ているのでしょうか。

走り切れば「自分にもできた」という手応えを得ることができますし、気分を切り替えることもできます。走っている間は目の前のことだけに集中できますし、そして何より、家でも職場でもない "第三の居場所" でゆるくつながれるのも魅力的なようです。

効果的なのは、デジタル上の「いいね」ではなく「一緒にいた」という圧倒的な肌感覚です。意図的に関係性を作りにいくのではなく、走るついでに、自然に関係性が生まれます。この構造が「承認に疲れた世代」に広がっています。

また、走ることには「努力と報酬の関係がわかりやすい」というメリットがあります。筋トレは重量、ランはタイム、登山は登頂など、身体性を伴う趣味は、がんばった分が数字や達成感に返ってきます。仕事やビジネスが複雑になり、成果も評価も不確実な現代において、ランで得られる単純明快な「手応え」が強く刺さる理由もわかります。

その上で、なぜ「ランニング」なのか

他にも身体性を伴う趣味はいくつもありますが、フットサルやボルダリングなどは、上手い下手があまりにもリアルに見えてしまいます。部活などでの経験者も多く「下手で迷惑をかけたらどうしよう……」という不安が少なからず初心者の壁になります。その点ランニングは、各自のペースで走れば良いですし、いちばん後ろがいちばん“おしゃべり” な場所だったりもします。始めるハードルも低く、一人でも成立し、出入りも軽い。必ずしも勝ち負けの世界に足を踏み入れる必要もありません。

つまりランニングは、「一人でもできる」と「みんなでもできる」を同時に満たす運動なのです。

リサーチャーの視点:ラン・コミュニティの再燃は「承認」のアップデート

ランニングは「素の自分でいられる」と先述しましたが、正直に見れば、そう単純ではありません。走った記録をランニングアプリに上げ、仲間との集合写真を投稿し、クルーのウェアを見せあいます。「いいね」の代わりに拍手を贈り合います。ランナーたちの合言葉に「If it's not on Strava, it didn't happen(Stravaに載らなければ、走っていないのと同じ)」という言い回しが広まっているほど、"やった事実を見せる" ことまでが体験になっています。

つまり、SNSでの承認欲求が消えたわけではありません。形が変わったと捉えるのが良いでしょう。盛った自撮りの代わりに、健康的で、頑張っていて、仲間がいる自分。数字(Strava)と関係(集合写真)に裏打ちされた分、むしろ"正しく見える"承認になっています。ラン・コミュニティは承認を放棄した価値観ではなく、承認を"実在する関係と身体的な達成"に乗り換えさせた場と捉えるのが適切なようです。

若者が求めているのは、走ることそのものに加え、低コストで、勝ち負けなく、ゆるく所属でき、しかも"ちゃんと見せられる"、対面の居場所であることが読み解けます。つながりと承認を、同時に、健全に見える形で、満たしているのです。

走ることが "一人でやること" から "誰かと一緒にやること" へ変わったその小さな変化に、現代の価値観が色濃く映し出されているように感じます。

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