
音楽や楽器演奏は、長く「うまくなること」「正しく演奏すること」「人前で披露すること」と結びついてきました。
もちろん、“上達” はいまでも音楽の大切な価値であり続けています。けれども、デジタルによる楽曲の民主化、SNSやミームの普及、推し活やコミュニティにおける音楽との触れ合いなどが日常的になった今、生活者にとっての「音楽の意味」は、少しずつ広がりはじめています。
自分らしさを表すこと。音を形にすること。誰かを応援すること。場に参加すること。コミュニティのなかで「自分はここにいていい」と感じること。
ヤマハとNEW STANDARDは2025年、「生活者にとって、音楽や楽器演奏はどのような価値を持つのか」を見つめ直すプロジェクトに取り組みました。なぜ今、その意味を問い直すのか。近代の音楽史リサーチやミームが生まれる構造から、何が見えてきたのか。そして、サイリウム、演奏の審査、ギター、手軽に楽しめる楽器という4つの記号から、どんな可能性が立ち上がってきたのか。
プロジェクトをリードした4人に、話を聞きました。
<お話を聞いた人>
前澤 陽さん(ヤマハ株式会社 研究開発統括部 MINA Lab 所長)
2011年にヤマハ㈱入社。15年、京都大学大学院情報学研究科博士後期課程修了。AI/機械学習を活用した楽曲解析や演奏生成、自動伴奏技術の研究開発に従事した後、音楽インタラクション技術の研究を行うラボを率いる。情報処理学会 情報処理技術研究開発賞、山下記念研究賞をはじめ、研究開発を主導したプロジェクトではSTI for SDGs文部科学大臣賞、放送批評懇談会ギャラクシー賞、カンヌライオンズ・シルバー等を受賞。
大嵜 郁弥さん(ヤマハ株式会社 研究開発統括部 MINA Lab研究員)
生体医工学専攻。2019年ヤマハ株式会社に入社後、研究開発統括部で音楽情報処理技術の研究開発に携わる。その後、ピアノを中心とした演奏科学領域に従事。「上達とは何か」「上達に貢献できるシステムはどのようなものか」という問いを中心に、演奏の熟達を科学的に解析し、奏者に効果的にフィードバックするシステムの研究を行っている。
久志尚太郎(NEW STANDARD株式会社 代表取締役)
「この世界は、もっと広いはずだ」をパーパスに、創作・経営・研究を横断しながら活動。16歳で米国の高校を飛び級で卒業後、外資系IT企業を経て社会起業家に転身。2014年、NEW STANDARD(旧TABI LABO)を創業。デザイン思考、意味のイノベーション、感性設計学を基盤に、大手企業のクライアントワークから自社事業まで、コンテンツ、プロダクト、広告、事業、コーポレートアイデンティティの開発を手がける。2023年より東京大学大学院工学系研究科・柳澤秀吉研究室に所属し、「意味中心設計」の研究・教育活動に従事。2026年4月より同大学院非常勤講師。経営学修士(MBA)。
白鳥秋子(NEW STANDARD株式会社 執行役員/ブランドデザインディレクター)
多摩美術大学グラフィックデザイン学科卒業。 広告制作会社を経て、2014年NEW STANDARD株式会社(元TABI LABO)に創業メンバーとして参画。事業開発やブランド開発に伴走し、ブランド戦略〜実装までトータルに手掛ける。戦略をプロダクトや一貫したCXに落とし込めるエグゼキューションが強み。東京大学大学院工学系研究科 共同研究員として、感性設計学を活用した、意味のイノベーション・意味的価値に関する応用実践研究にも従事する。

—— まずはじめに、今回のプロジェクトは、ヤマハとしてどのような問題意識から始まったのでしょうか。
前澤:ひと言でいうと、「僕らが見落としているものはないか」。そこが起点でした。弊社は楽器をつくっていて、社内には演奏に対して愛のある人間がたくさんいます。そうなると出てくる企画や提案は、基本的にミュージシャンに刺さるものになります。既存の市場が喜ぶものをプロデュースする力は、それなりにあると自負していますが、その一方で「見落としているものもありそうだな」と感じていました。
——そこから、より根源的な「なぜ人は楽器を演奏するのか」という問いに向かった。
前澤:そうなんです。そもそも楽器を弾くってどういうことなんだろう? なぜ人は楽器を弾くんだろう? そこを理解していくなかで、僕らが見落としていた価値や、まだ届けられていない人たちが見えてくるんじゃないか、と考えました。エンターテインメントの手段がこれだけ多様化しているなかで、無数にある娯楽から「なんで楽器を選ぶのか」。そこに対して、「こういう楽しみ方もありますよ」と新たに定義しなおさないといけないな、と思っていたんです。
大嵜:私は「演奏科学」という研究をしているのですが、演奏って、フィーリングで語られることが結構多いんですよね。たとえば “情熱的な” ピアニストとか。でも、情熱的って、つまり何なのか。パラメータ的には何を指しているのか。これまで表現しづらかったところを、楽器を通じて計測し、演奏データとして扱えるようになってきました。それを情報処理にかけると、抽象的だった言葉が数値になっていく。そこから、どうやって演奏者へフィードバックし、自分自身の理解につなげられるかを研究しています。
——スポーツ科学の、音楽版みたいなイメージでしょうか。
大嵜:はい、まさに、あの「科学」と同じ意味です。演奏という感覚的なものを、少しずつ言葉にして、扱えるようにしていく仕事だと思っています。
久志:僕、前澤さんや大嵜さんとご一緒して、いくつかびっくりしたことがあったんです。まず、みなさんとても優秀で、しかもセンスがいいことです。アートとサイエンスが統合された形で、しかもこんなに高いレベルで仕事をしている人たちが日本にいるんだな、と驚きました。しかも案外、日本人自身がそのことに気づいていない。誇りに思っていない気がするんですよ。たとえば「誰でもが知っている海外のビッグテック系の企業とヤマハ、どっちがかっこいい?」と聞かれたら、僕なんかは「ヤマハでしょ」と思うんです。でも、多くはそう認識されていない。
大嵜:実際、大学で所属していた研究室のOB会などに行くと、他業種の方から「君の会社は、ある意味で生活に不要なものを売っているのに、なんで生き残れるのかわからない」と言われたりします(笑)。確かに、製造業のメーカーにいる研究者は、現代の生活を支える基準の高さで勝負している世界にいますし、そう感じる気持ちも分かります。でも、逆にいえば私たちは「一見必要ではないかもしれないけれど、きっと人間の歴史にとって必要なもの」をつくっているのかな、と思うんです。
久志:そこなんですよね。音楽を共有した人たちが「良かった」と思える瞬間を提供する。それは音楽が持つ大きな力のひとつだと思います。むしろ、そういう価値こそ、これからの時代に見落としてはいけないものなんじゃないかと。

——今回のプロジェクトでは、まずどのような意味の探索から手をつけたのでしょうか。
白鳥:まず最初に、日本の近代の音楽史を、生活者目線で調べていきました。音楽史そのものは世の中にたくさんあるのですが、私たちが見たかったのは、それぞれの時代の社会背景や情勢があって、そこに対して人々が音楽で「どんな充足を満たしていたのか」という部分です。音楽教育や教養という枠ではないところで音楽が果たしていた役割が、たくさん見えてきました。面白かったのは、時代とは "真逆" のことを音楽で満たしている、という傾向があったことです。たとえば、学生運動が終わって白けた空気になった時代には、その中で自分の人生の物語や、生きる意味を音楽に求めていた。逆に、経済が成長している時代には、成長の裏側で「自分の居場所はどこなのか」を自己表現に求めていた。時代ごとに関係性は違うのですが、その時代に足りないものを、音楽で満たしている。そういう裏表の関係が、いろいろな時代に見られました。
久志:言葉にすると恥ずかしいことも、歌に載せるとそこまで恥ずかしくない、という構造もありますよね。言葉だけでは表現しにくいものを、そこにさらに抽象的な音楽を載せることで、表現しやすくしている。音楽を通じて、火力というか、伝わる力が上がるんです。
——その調査を進めるなかで、「ミーム」というキーワードにたどり着いたそうですね。
白鳥:はい。調査を進めていくと、インターネット以前も、どの時代にも何かしらの "フォーマット" があったんです。ある時代はバンド、ある時代はカラオケ。音楽が広がっていくときには、いつも「みんなが安心して乗っかれる型」がある。同じフォーマットだから安心できるし、そのうえで自己表現もできる。その両方が成立していたんですね。
久志:これって、カレーと同じだと思うんです。いきなり「白いお皿を渡すので自由につくってください」と言われても困りますが、「カレーってこういうものですよ」という型があれば、「じゃあスパイスをちょっと足そうかな」とアレンジできる。土台となる型があるから、オリジナリティが出せるんです。ミームって、「この型に乗れば参加できる」という安心感と、「少し変えれば自分らしさが出せる」という特別感を、同時に生み出しているんですよね。しかも面白いのは、その両方がひとつのなかで成立しているところです。「自分だけ感」と「みんなでやってる感」。自分と誰かがつながっていることも、自分が自分であることも、両方確認できる。こんなに特別な装置は他にないよなって思うんです。だから音楽は、これだけ長く残ってきたんだろうな、と。
白鳥 :ファッションで自分のクラスターを表明するのに似ているかもしれません。「どの型に乗るか」を選ぶこと自体が意思表明であると同時に、その型があるからこそアレンジを加えられる。「ミーム」は一過性の流行ではなくて、心理的な安全装置であり、創造の連鎖を生む仕組みであり、アイデンティティの象徴でもある。そう捉えると、音楽や楽器演奏の未来にもいろいろな示唆があるなと感じました。


——NEW STANDARDが考える「意味的価値」とは、どういうものなのでしょうか。
久志:機能的に便利だとか、品質が高いとか、技術が優れていることも重要ですが、それだけではないんです。そこに自分の価値観や感情、所属感、自己表現を重ねられる価値のことを、意味的価値と呼んでいます。同じ楽器でも、どんな文脈で触れるかによって、生活者にとっての意味は変わります。実は僕、この座談会の前からずっと考えていたことがあって……。それは「音楽って、自分なのか、自分じゃないのか」ということなんです。デカルト的には、自分とそれ以外を分けて考えますよね。でも音楽は、たぶん「自分」なんですよ。自分の中で流れているもの、感じているものが、たまたま音という形で外に出ているだけ。ギターの造形美に惹かれるのも、あれが自分の延長線上にあるものだからだと思うんです。だから人は、楽器や音楽にアイデンティティを感じて、「これをやっている自分」に意味を見いだしていく。
前澤:自分が発するもので、自己が拡張されていく。だから楽器は美しいんですよね。しかもそれは、言語とは違う感覚に訴えかけます。音楽は、言語のようなロジカルな構造からさらに、もっと原子的なレベルで人間にアプローチして、一体感を生める。自と他を隔てつつ、つなげるコミュニケーションのチャンネルにもなっている。そこがすごく面白いと思っています。
久志:ライブでみんながひとつになる、あの感覚もまさにそうですよね。人は、1人だけでも孤独になってしまうし、みんなと一緒なだけでも自分がわからなくなってしまう。「自分」と「自分たち」を同時に認識する必要があって、それを分けてはいけないんですよね。その両方を、音楽はやってのける。
——なるほど。「自分」と「自分たち」を同時に認識できるのが音楽が持つ価値、という整理はとても面白いですね。
久志:そうなんです。たとえば言葉ではうまく分かり合えなくても、一緒に奏でるリズムやエモーショナルなものを通じて、悲しいとか、嬉しいとか、これがいい、これはイヤだ、といったことが伝わっていく。そう考えると、音楽の可能性ってすごく広いんですよ。前澤さんや大嵜さんと議論していると、こういう話が普段から自然に出てくる。それが本当にすごいなと思いました。
——そうやって捉え直すと「ヤマハ」という会社の見え方も変わってきますね。
久志:まさにそうなんです。最終的なアウトプットが「楽器というモノ」だったとしても、それがコミュニケーションの媒介にもなるし、趣味的に楽しむものにもなる。すごく広く取り扱われている。たとえば任天堂のことをみんな「ハードとソフトを統合していてすごい」と言いますよね。僕から見ると、ヤマハも同じか、それ以上のことをやっている。電子楽器からクラシック、最先端の技術まで、しかもハードもソフトも手がけている。こんな会社はなかなかないんですよ。なのにそう認識されないのは、楽器や音楽が、まだ「教育」「競技」「エンタメ」という枠組みだけで解釈されているからだと思うんです。

——今回のプロジェクトでは、音楽の新しい意味を考える起点として「サイリウム」「演奏の審査」「ギター」「ガジェット系楽器」という4つの事物を選んで、それぞれ異なる文脈と掛け合わせながら「新しい意味」を開発していったそうですね。
白鳥:はい、そこにはいくつか意図があったんです。「サイリウム」は、誰でもできて、知識がいらなくて、しかも現在のヤマハさんが事業として取り扱っていない領域。「演奏の審査」は、超ど真ん中のコンサバな音楽の価値観だからこそ、逆転させたらどんな発想が出るのか。「ギター」は、ある程度かたちの決まった楽器のなかでも、比較的自由度が高いものとして。そして「ガジェット系楽器」は、伝統的な価値観が存在しない領域だからこそ、むしろ意味を定義してラベリングさせたら、世の中に浸透させやすいんじゃないか、と。それぞれ違う角度から音楽や楽器演奏に光を当てられる記号を選びました。
久志:サイリウムを振るファンは、じつは受け身で聴いているわけではないんですよね。会場の景色を共につくり、推しに反応を届け、その場の熱量を生み出している。つまり、聴く人もまた、音楽体験の共創者なんです。従来、音楽体験は演奏者やアーティストが中心につくるものと考えられがちでした。でも、聴く人の能動性に目を向けると、音楽体験は「聴く」から「参加してつくる」ものへと広がっていく。
白鳥:先ほどの「ミーム」の視点で捉えると、サイリウムは「みんなと同じ振り方・色に乗る安心感」と「自分は推しを選んで応援している特別感」を、同時に持つ記号だといえます。だからこそ聴く人は、型に乗りながら参加できる。推し活やライブ参加の文化は、これからの音楽体験を考えるうえで、大きなヒントになると考えています。
大嵜:私自身、音楽に取り組んでいた身としてコンペティションはすごく大事ですし、「1位と2位には圧倒的な差がある」という世界もたしかに必要です。「2位じゃダメなんですか」と言われたら、ダメな世界も本当にあるんですよ。でも、全員が全員、競うわけではないですよね。スポーツにプロがあるからといって、草野球がいらないかといえば、そんなことはない。楽器も、そうであってほしいんです。評価を「優劣をつける行為」だけでなく、「どこに心が動いたのかを考え、語り合う行為」として捉え直すと、審査にも新しい可能性が見えてきます。ルールの中で評価される安心感に加えて、「観客がどれだけ楽しめたか」といった主観的な軸を足していける。すごいプロの演奏でなくても、心を打たれることはいくらでもありますし、評価される緊張感と、音を奏でる純粋な喜びを、どう両立させるか。そこに新しい意味が生まれると思っています。
白鳥:私がギターを記号として捉えたときに面白かったのは、クリーンとダークの二面性でした。普通の商材やサービスだと、悪い面を内包することって、あまりないんですよ。でも楽器は、ライブでギターを壊すような破滅的な演奏が「かっこいい」とされることもある。なぜか楽器には、壊すことで熱狂を生む側面がある。両面性という意味では、ヒップホップのサンプリングも、悪くいえば盗用とも捉えられますが、そこから新しいカルチャーが生まれ続けています。パンクロックも、政治や体制への不満というアンチから始まったものが受け入れられて音楽史の重要な分岐点になっている。小説や絵画だと、アンチ的な表現は「ひとつの見方」として距離を取って受け止められがちですが、音楽はそのまま新たなカルチャーに昇華されて残り続ける。この許容力の高さは音楽ならではだなと思いました。
大嵜:どうしても音楽制作には、専門知識や機材への理解が必要だ、というイメージがありますよね。でも、考えるより前に音が形になって、直感的に試せる体験があれば、生活者はもっと気軽に自分の創造性に触れることができます。大事なのは、誰もがプロになることではなくて、専門性の前にある遊び心や好奇心を取り戻すこと。「自分でも音がつくれる」という手応えを感じることだと考えています。その具体例のひとつが、SEQTRAK(シークトラック)のようなデジタル制作ガジェットです。ミームの視点で見れば、「まず気軽に音を出してみる」という誰もが乗れる型があって、そこに直感的な操作で自分らしさを少しずつ重ねていける。参加のしやすさ(安心感)と、特別感が両立しているんです。
——ありがとうございます。具体的な「記号」で音楽を捉えていくことで、本プロジェクトで実施した内容のイメージが深まりました。
——プロジェクトを進めるなかで「練習」という言葉の是非もよく話されたそうですね。
大嵜:楽器って、歴史的に「他人に披露すること」を前提に進化してきました。だから家で弾く行為を、ほとんどの人が「練習」と呼ぶんですよね。本番ではないから、練習。でも、家で晩ごはんをつくることは「練習」とは言わないですよね。「自炊」です。人に振る舞うことが前提なら練習と呼んでも良いはずですが、自炊しておいしいと感じることは、それだけで完結している。音楽も「発表すること」だけを前提に練習するのではなく、日常の練習って本当はもっと楽しいものなはずなんです。
前澤:「練習」に代わる言葉をつくりたいんですよ。そう考えると「自炊」っていい言葉ですよね。人前でヒーローになることを前提にしてないですし、コツコツと自分を育てている感じもある。言葉をひとつずつ言い換えていくことで、その後の形や評価のあり方も、少しずつ変わってくるかもしれません。
久志:AIが得意なのは、競技や習い事の「表面的に上手で綺麗なやつ」なんです。でも、本当の楽しさはそこだけにあるわけではない。そこに気づかないと、音楽が「うまい人のもの」だけになってしまうんです。それは多くの人にとって不幸なことですし、人間の感性や人生を豊かにするもの、つまりAI時代にこそ必要とされるものを、見落とすことになると思うんです。
白鳥:サイリウム、演奏の審査、ギター、手軽に楽しめる楽器。一見バラバラな4つの記号を横断して見ていくことで、共通点が見えてきました。それは「音楽体験は演奏者だけのものではない」ということ。聴く人も、応援する人も、評価する人も、なりきる人も、つくる人も、みんな音楽体験に “参加” している。そして、その参加の仕方は、必ずしも「上達」だけでは測れないんですよね。
前澤:さらに抽象度を上げると、みんな同じような課題を抱えているんですよね。「楽器」という大きな括りのなかで意味を捉え直せれば、そこからいろいろな楽器や、いろいろな音楽の楽しみ方が生まれてくる。居場所を感じること、自分らしさを表すこと、誰かとつながること、自分の感性を形にすること。そうした多様な意味的価値を広げていくことが、ヤマハだからこそできる意義なのかなと思っています。上達の価値を大切にしながらも、それだけではない関わり方を提示していく。そうすれば、もっと多くの生活者が音楽に参加できるようになるはずです。

大嵜:突然ですが、実は私、ガチゲーマーなんですね(笑)。ビデオゲームの開発って、限られた容量のなかでも、絶対に音楽用の容量を残しているんです。ファミコンの時代から8ビットで少ない容量をやりくりしながらBGMをつくってきた歴史がある。「音楽はそこにあるもの」という前提で、当たり前に考えられてきたんですよね。BGMもSE(効果音)も、聞いただけで「あ、あのゲームだ」とわかる。音楽が作品を定義している側面もあると思うんです。
白鳥: 「私は音楽をあまり聴かない」と言う人でも、テレビやゲームの演出のなかで、実はずっと音楽に触れている。作業用BGMもそうですし、ドラマや映画の主題歌もそう。ドクターマリオだって、あのBGMじゃなかったら、あんなに売れていなかったかもしれません。音楽って「余白」のように捉えられがちだけれど、実は余白ではないんですよね。
久志 :音楽は余白ではなく、実は一番「自分と他者をつないでいる存在」です。無音の世界なんて、成立しない。そう考えるとヤマハさんは「生活に不要なものを売っている」どころかむしろ逆で、めちゃくちゃ本質的に人間に必要なものなんですよね。
前澤:今後の僕の希望としては「ヤマハと一緒に、こういうことをやりたい」という企業やクリエイターを増やしていきたいんです。音楽の可能性を見いだす人たちが増えて、今はまだ見えていない取り組み方が生まれていく。ひとつのフォーマットだけでビジネスをする、ということよりも、新しい市場の可能性をみんなで議論しながら、気づいたら "意味的な市場" ができている——そんなプロジェクトにできたら理想だなと思っています。
大嵜 :私は研究員として、今回見えてきた「なりきる」「ミーム化する」といったコミュニケーションの切り口を、もっと深めていきたいです。それを実現する手段は、必ずしも「正しく演奏する」ことに限りません。同じ場で、同じ時を過ごし、一体感が生まれる。そのプロセスに関われる新しいインターフェースや体験は、まだまだつくれると思うんです。「自分を忘れられる」「自分と誰かがひとつになれる」——そういう感覚を支える楽器や体験を、これからも探っていきたいですね。
久志:改めて、音楽や楽器演奏の価値は「上達」だけではありません。参加すること、応援すること、なりきること、つくること、考察すること、居場所を感じること、自分の感性を形にすること、少しだけ日常の外側に出ること。今回のプロジェクトを通じて見えてきたのは、音楽が、生活者にとって「自分の感性や創造性を取り戻すための体験になり得る」ということでした。ヤマハとNEW STANDARDが見つめているのは、音楽や楽器演奏を通じて、現代の生活者が自分の存在や創造性を感じられる、新しい「意味」の可能性です。この問いは、まだ始まったばかりです。
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