私たちは、世界を“そのまま”見ていない。自由エネルギー原理から考える、意味のデザイン

2026/09/13
ニュースタ!編集部

同じ世界を見ているはずなのに、なぜ人によって世界の見え方は異なるのでしょうか。

目の前にあるものを見て、聞こえてくる音を聞き、触れたものを感じている。けれど、実際には、私たちの知覚はそれほど単純ではありません。

たとえば「ルビンの壺」と呼ばれる有名な多義図形があります。ある人には中央に壺が見え、別の人には向かい合う二人の横顔に見える。同じ図形を見ているはずなのに、解釈は異なります。

これは、単なる目の錯覚ではありません。

むしろ、私たちが世界をどのように見ているのかを教えてくれる重要な手がかりです。見ることは、外界の情報をそのまま受け取ることではなく、脳が過去の経験や文脈にもとづいて「これは何であるか」を解釈する営みなのです。

近年の認知科学や神経科学では、人間の脳は世界を受動的に受信しているのではなく、常に予測しながら知覚していると考えられています[1]。その代表的な理論のひとつが、自由エネルギー原理です[2]。そして、その予測と現実のズレを小さくするために、人が世界を解釈し、さらには世界に働きかけるプロセスを説明する考え方が、能動推論です[3]。

では、この考え方は今、デザインやエンジニアリング、商品やサービス開発、ブランドやコミュニケーション開発の領域で、どのように注目されているのでしょうか。

本記事では、自由エネルギー原理と能動推論について解説しながら、その応用可能性について考えていきます。

ルビンの壺は、なぜ壺にも顔にも見えるのか

ルビンの壺は、白と黒の領域で構成されたシンプルな図形です。中央の黒い部分に注目すると、そこには壺のような形が見えます。一方で、左右の白い部分に注目すると、今度は向かい合う二人の横顔が見えてきます。

不思議なのは、図形そのものは何も変わっていないということです。線も、色も、形も、目に入ってくる情報は同じです。それにもかかわらず、私たちの見え方は「壺」と「顔」のあいだを行き来します。

これは、私たちの知覚が、単に外界の情報をそのまま写し取っているわけではないことを示しています。私たちは目に入ってきた情報をもとに、「これは壺なのか」「これは顔なのか」と解釈しています。つまり、見えているものは、対象そのものだけで決まるのではなく、私たちがそれをどう捉えるかによって変わるのです。

同じような例は、ほかにもあります。アヒルにもウサギにも見える図形。手前と奥が反転して見えるネッカーキューブ。人によって青と黒に見えたり、白と金に見えたりするドレスの写真。これらはいずれも、同じ対象が、異なる解釈として立ち上がる例です。

ここで重要なのは、錯視や多義図形を「目がだまされている」とだけ捉えないことです。むしろ、私たちの脳が世界をどのように解釈しているのかを示す、非常にわかりやすい現象だと考えることが重要です。

ダック&ラビットイリュージョンを見るとき、私たちはただ線や色を見ているのではありません。その線や形が、「アヒル」というまとまりとして知覚されたり、「ウサギ」というまとまりとして知覚されたりします。つまり、同じ事物であっても、どのような文脈で捉えるかによって、意味は変わるのです。

これは、商品やサービス、ブランドについて考えるときにも重要な視点です。同じモノであっても、ある人にはただの機能に見え、別の人には自分の価値観や生活を支えるものに見えることがあります。私たちはモノそのものを見ているようで、実際には、そのモノが自分にとってどのような意味を持つのかを解釈しているのです。

私たちは、世界をそのまま見ていない

「見ることは、外界の情報をそのまま受け取ることではない」という考え方は、近年になって突然出てきたものではありません。知覚心理学や認知科学の領域では、古くから、人間の知覚は受動的な受信ではなく、能動的な解釈であると考えられてきました。

たとえば、19世紀の生理学者・物理学者であるヘルマン・フォン・ヘルムホルツは、人間の知覚を「無意識的推論」として捉えました[4]。私たちは目に入った情報をそのまま見ているのではなく、限られた感覚情報から、外界で何が起きているのかを無意識に推論しているという考え方です。

この考え方は、のちの知覚心理学にも大きな影響を与えました。知覚心理学者リチャード・グレゴリーは、知覚とは脳が外界について立てる「仮説」であると考えました[5]。つまり、私たちが見ている世界は、脳が感覚情報をもとに組み立てた、もっともありそうな解釈なのです。

この視点から見ると、錯視や多義図形は、単なる例外的な現象ではありません。むしろ、私たちの知覚が普段から推論や仮説にもとづいて成り立っていることを示す、わかりやすい入口だと考えることができます。

ルビンの壺が「壺」に見えたり「顔」に見えたりするのは、目に入ってくる情報が変化しているからではありません。脳が、その情報をどのようなまとまりとして解釈するかが切り替わっているからです。

近年では、こうした考え方は「予測処理」や「予測符号化」と呼ばれる理論として発展してきました[6]。脳は外界をただ受け取るのではなく、常に「次に何が起こるか」「これは何であるか」を予測し、その予測と実際の感覚情報を照らし合わせながら、世界を知覚していると考えられています。

つまり、私たちは世界をカメラのように写し取っているのではありません。過去の経験、記憶、身体の状態、その場の文脈、そして未来への期待にもとづいて、世界を解釈しています。だからこそ、同じ事物を見ていても、人によって見え方は変わります。知覚するということは、解釈することです。そして解釈とは、世界から与えられた情報だけでなく、自分の内側にある予測や文脈によって形づくられるものなのです。

自由エネルギー原理とは何か

このように、私たちの知覚が予測にもとづいていると考えると、次に重要になるのが「予測と現実のズレ」です。

私たちは、世界をただ受け取っているのではなく、常に「おそらくこうなっているはずだ」と予測しています。そして、実際に入ってくる感覚情報がその予測と一致していれば、世界は違和感なく理解されます。一方で、予測と現実にズレがあると、そこに驚きや違和感が生まれます。

自由エネルギー原理とは、簡単に言えば、脳や生物がこの「予測と現実のズレ」をできるだけ小さくしながら、世界を理解し、生きているという考え方です[2, 7]。

たとえば、暗い部屋で床に細長いものが落ちているのを見たとします。一瞬、「ヘビかもしれない」と感じるかもしれません。しかし、近づいてよく見ると、それはただのロープだったとわかる。このとき、私たちの脳は、最初の予測を修正し、感覚情報に合うように解釈を更新しています。

ルビンの壺も、同じように考えることができます。最初は「壺」として見えていた図形が、ある瞬間に「二人の横顔」として見えてくる。そのとき、図形そのものが変わったわけではありません。変わっているのは、脳がその感覚情報をどう解釈しているかです。

自由エネルギー原理では、このように、脳が「こう見えるはずだ」と予測していたものと、実際に入ってきた感覚情報とのあいだに生まれるズレを小さくしようとする働きが、知覚や行動の基本にあると考えます。

もちろん、実際の自由エネルギー原理は、より複雑な数理モデルにもとづいています。しかし、ここではまず、私たちの脳が予測と現実のズレを手がかりに、世界の見方を更新していると理解しておくとよいでしょう。重要なのは、このズレは単なる間違いではないということです。予測と現実のズレがあるからこそ、私たちは「何かが違う」と気づき、解釈を更新することができます。違和感や驚きは、世界の見え方が変わるきっかけでもあるのです。

自由エネルギー原理や予測処理の観点からは、錯視や多義図形を、同じ感覚入力に対して複数の解釈が競合し、知覚上の仮説が切り替わる現象として捉えることができます。私たちが世界をどう見ているのかは、感覚情報だけでなく、それをどう予測し、どう解釈するかによって変わるのです。

能動推論とは何か

能動推論とは、生物が知覚や行動を通じて、自分の予測と感覚情報の関係を調整していくプロセスを説明する枠組みです。人は、世界についての解釈を更新するだけでなく、行動によって得られる感覚情報そのものを変えることでも、予測との食い違いを小さくします[3, 7]。

予測と現実のズレを小さくする方法は、大きく2つあります。ひとつは、自分の解釈を変えることです。もうひとつは、世界に働きかけて、実際の状態を変えることです。

たとえば、部屋が暑いと感じたとします。このとき私たちは、「この部屋は暑い」と認識するだけではありません。窓を開ける、エアコンをつける、涼しい場所に移動する。つまり、自分が望む状態に近づくように、世界に働きかけます。

不確実な状況で情報を調べたり、確かめるために対象へ近づいたりすることも、世界についての不確実性を減らすための行動として捉えることができます。私たちは、世界をただ解釈しているだけではありません。自分にとって望ましい状態を実現するために、行動を通じて世界との関係を調整しているのです。

能動推論の面白さは、知覚と行動を分けて考えないところにあります。見ること、考えること、選ぶこと、動くことは、別々のプロセスではなく、予測と現実のズレを小さくしながら、自分にとって意味のある世界をつくっていく一連の営みとして捉えることができます。

この視点は、デザインやブランド、商品やサービス開発にとっても重要です。なぜなら、人はモノやサービスを、単なる機能として受け取っているだけではないからです。それが自分にとってどのような意味を持つのかを解釈し、その意味にもとづいて選び、使い、行動しています。つまり、人は意味によって世界を理解し、その意味にもとづいて行動しているとも言えます。さらに、ヴィクトール・フランクルが「意味への意志」と呼んだように、人間は、自らの生や置かれた状況に意味を見いだそうとする欲求によって動機づけられる存在でもあります[8]。

だからこそ、商品やサービスの開発においては、機能や利便性だけでなく、それが生活者にとってどのような意味を持つのかを考えることが重要になります。

人は、便利だから選ぶだけではありません。そのモノやサービスが、自分の世界の見え方をどう変えてくれるのか。自分をどのような状態へ導いてくれるのか。そうした意味を感じ取りながら、選び、使い、行動しているのです。

意味は「事物 × 文脈」から生まれる

では、生活者にとっての「意味」は、どこから生まれるのでしょうか。

ここまで見てきたように、私たちは世界をそのまま受け取っているわけではありません。目の前にある事物を、過去の経験やその場の文脈にもとづいて解釈し、自分にとっての意味として受け取っています。

このとき重要なのは、意味が事物そのものの中に固定されているわけではないということです。意味は、事物と、それを解釈する文脈とのあいだに生まれます[9]。

これを簡単に表すと、次のようになります。

事物 × 文脈 = 意味[10]

たとえば、ルビンの壺で考えてみましょう。目の前にある線や形は同じです。しかし、それを「壺」として見る文脈で捉えるのか、「二人の横顔」として見る文脈で捉えるのかによって、そこから立ち上がる意味は変わります。

つまり、意味は事物だけで決まるのではありません。事物が、どのような文脈の中で解釈されるかによって変わります。

これは、商品やサービス、ブランドにおいても同じです。たとえば、あるヘアケア商品は、「髪や頭皮を清潔にするもの」として見れば、機能的なケア用品です。しかし、「忙しい日々の中で、心と頭を休めるための時間」という文脈で捉え直すと、それはセルフケアやウェルビーイングの意味を持ちはじめます。

同じ事物でも、文脈が変わることで、意味が変わる。意味が変わることで、生活者にとっての価値も変わるのです。

この考え方は、東京大学大学院工学系研究科の柳澤秀吉教授が提唱する三項価値モデルTVM(Triadic Value Model)とも接続します。TVMでは、内在的価値を事前信念、道具的価値を観測される証拠、意味的価値をそれらにもとづいて更新された事後信念として捉え、価値が推論のプロセスを通じて生成される関係をモデル化しています[11]。価値は、モノの固定的な属性だけで完結するものではなく、人が事物と出会い、解釈や信念を更新するプロセスの中で生成されると捉えます。

NEW STANDARDのサイエンス

NEW STANDARDは、東京大学大学院工学系研究科 柳澤研究室との共同研究を通じて、意味中心設計の研究と社会実装に取り組んでいます。その共同研究では、“事物 × 文脈 = 意味”という考え方を、意味のイノベーション研究とベイズ理論にもとづく数理的解釈の両面から整理し、デザインプロセスや実践に応用してきました[9, 10]。

東京大学大学院工学系研究科 柳澤研究室は、感性設計学、デザイン学、設計工学、計算論的神経科学などを横断しながら、人の感性をどのように理解し、設計に応用できるのかについて、デザインエンジニアリングの視点から様々な最先端領域の研究が行われています。また、東京大学大学院工学系研究科に設置された、東京大学、三菱電機、NEW STANDARDによる社会連携講座「意味中心のデザインエンジニアリング」では、意味的価値や社会的価値を生み出す、新たなデザインエンジニアリングの研究と実践に取り組んでいます。

意味中心設計とは、人の解釈や価値観そのものが変化することを前提に、モノやコトの「新しい意味」を設計する考え方です。人間中心設計が、人の行動、ニーズ、能力、利用状況を理解し、製品やサービスを人にとってより有効で使いやすいものへと設計するアプローチだとすれば、意味中心設計は、それに加えて、その人がモノやコト、さらには文化や社会をどのように捉えているのかまでを設計の対象とします。

事物そのものをつくるだけではなく、その事物がどのような文脈で受け取られ、どのような意味として解釈されるのかを設計する。その新しい解釈が、生活者の価値観や潜在的な欲求・動機と結びついたとき、意味的価値が生まれます。

意味的価値とは、単なる機能や便益、目的や印象の違いではありません。

「自分にとって、これはこういう意味がある」

と感じられることで、選ぶ理由、使う理由、行動する理由を生み出し、人の意思を変化させる価値です。意味中心設計が目指すのは、モノやコトの新しい意味を設計することによって、生活者の意思の変化と、企業や社会が実現しようとする意志を結びつけることです。

ここで重要なのは、予測と現実のズレを、ただ小さくすればよいわけではないということです。新しい意味が生まれるためには、生活者が持つ既存の認識を揺さぶり、新しい解釈へと更新するための「適切なズレ」が必要になります。

あまりにも見慣れたものは、既存の解釈の中に回収され、意味が更新されにくい。一方で、あまりにも新しすぎるものは、これまでの経験や価値観と結びつかず、理解されないまま拒否されることがあります。

だからこそ、意味中心設計では、「わかるけれど、新しい」「意外だけれど、納得できる」と感じられる文脈をつくることが重要になります。生活者が持っている予測や固定化された解釈を適度に揺さぶりながら、その人が本質的に大切にしている信念や価値観、そして欲求や動機と結びついて、新しい意味へと導くこと。そこに、意味をデザインすることの核心があります。

たとえば、「高齢化」という社会課題を考えてみましょう。

既存の「老い=身体機能が衰えていく時期」という捉え方を前提にすれば、高齢者でも使いやすいUIや見守りサービス、介護ロボットなどによって、生活をより安全で便利にするアプローチが考えられます。これは、高齢者が直面する具体的な課題を解決するうえで、非常に重要な取り組みです。

一方で、意味中心設計では、その解決策を考える前に、課題の前提となっている「老い」の意味そのものを問い直します。

「老い」を、単に身体が衰え、社会から支えられる時期としてではなく、「長い人生で培った経験や知恵を社会へ還元する時期」として捉え直す。高齢者を、支えられるだけの存在ではなく、豊かな経験や知恵を持ち、社会に新たな価値をもたらす存在として再解釈するのです。

このように「老い」の意味が変われば、高齢者に提供する商品やサービスだけでなく、高齢者の社会における役割や、世代間の関係、雇用、教育、地域活動のあり方まで変わる可能性があります。

意味中心設計が目指すのは、既存の課題に対して、より便利で使いやすい解決策をつくることだけではありません。課題の背景にある固定化された解釈そのものを更新し、新しい事業や文化、社会制度の可能性を開くことです。

意味をデザインすることは、世界の見え方をデザインすること

もう一度整理しましょう。

私たちは、世界をそのまま見ているわけではありません。

目の前にある事物を、過去の経験や記憶、その場の文脈、未来への期待にもとづいて解釈し、自分にとっての意味として受け取っています。だからこそ、同じ世界を見ていても、人によって見え方は変わります。

自由エネルギー原理は、私たちが予測と現実のズレを小さくしながら世界を理解していることを示しています。そして能動推論は、人がそのズレを小さくするために、解釈を更新するだけでなく、世界に働きかけていることを説明する考え方です。

この視点に立つと、ブランドやサービス開発の役割も少し違って見えてきます。デザインとは、単に形を整えることでも、機能を便利にすることでもありません。人が事物をどのような文脈で受け取り、どのような意味として解釈するのかを設計することでもあります。

もちろん、物理的な世界には限界があります。素材、技術、コスト、時間、身体、環境。私たちは、そうした制約の中でモノやサービスをつくっています。しかし、意味の世界は、文脈や解釈の更新によって広げることができます。同じモノであっても、それが置かれる文脈が変われば、人にとっての意味は変わります。同じ体験であっても、それをどう捉えるかが変われば、その人にとっての価値も変わります。

だからこそ、意味をデザインすることは、世界の見え方をデザインすることでもあります。

生活者が「これは自分にとって、こういう意味がある」と感じられたとき、モノやサービスは単なる機能を超えて、その人の行動や意思に関わるものになります。意味が変わることで、選ぶ理由が生まれ、使う理由が生まれ、行動する理由が生まれるのです。そして、企業にとっては、機能的価値だけでは差別化が難しくなり、生活者の価値観や文脈が多様化する時代において、これからのデザインやエンジニアリング、商品やサービス開発、ブランドやコミュニケーション開発には、事物そのものだけでなく、それがどのような意味として受け取られるのかを設計する視点が求められています。

同じ世界を見ているはずなのに、なぜ人によって世界の見え方は違うのか。

その問いに向き合うことは、これからの価値創造を考えることでもあります。意味をデザインすることは、人がこの世界に新しい可能性を見出すための営みなのです。

参考文献

[1]Clark, A.(2013)“Whatever next? Predictive brains, situated agents, and the future of cognitive science.” Behavioral and Brain Sciences, 36(3), 181–204. DOI: 10.1017/S0140525X12000477.

[2]Friston, K.(2010)“The free-energy principle: A unified brain theory?” Nature Reviews Neuroscience, 11(2), 127–138. DOI: 10.1038/nrn2787.

[3]Friston, K., FitzGerald, T., Rigoli, F., Schwartenbeck, P., & Pezzulo, G.(2017)“Active Inference: A Process Theory.” Neural Computation, 29(1), 1–49. DOI: 10.1162/NECO_a_00912.

[4]Helmholtz, H. von(1867)Handbuch der physiologischen Optik. Leipzig: Leopold Voss.

[5]Gregory, R. L.(1980)“Perceptions as hypotheses.” Philosophical Transactions of the Royal Society of London. Series B, Biological Sciences, 290(1038), 181–197. DOI: 10.1098/rstb.1980.0090.

[6]Rao, R. P. N., & Ballard, D. H.(1999)“Predictive coding in the visual cortex: A functional interpretation of some extra-classical receptive-field effects.” Nature Neuroscience, 2(1), 79–87. DOI: 10.1038/4580.

[7]Buckley, C. L., Kim, C. S., McGregor, S., & Seth, A. K.(2017)“The free energy principle for action and perception: A mathematical review.” Journal of Mathematical Psychology, 81, 55–79. DOI: 10.1016/j.jmp.2017.09.004.

[8]Frankl, V. E.(1969)The Will to Meaning: Foundations and Applications of Logotherapy. New York: New American Library.

[9]Kushi, S., & Yanagisawa, H.(2024)“Innovation of meaning: Design-driven study based on the interpretive theory of new meaning.” Proceedings of the Design Society, 4, 35–44. DOI: 10.1017/pds.2024.6.

[10]Kushi, S., Nakaji, K., & Yanagisawa, H.(2024)“Meaning Generation Theory: A Bayesian Approach to Sign × Context = Meaning.” In DS 136: Proceedings of the Asia Design and Innovation Conference 2024, 19–27.

[11]Yanagisawa, H.(2026)“Reframing Value as Inference: The Triadic Value Model for Meaning-centered Design.” International Journal of Affective Engineering, Advance online publication. DOI: 10.5057/ijae.IJAE-D-25-00055.

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