寝起きとともにXを眺めて、寝落ち直前までショート動画を見て終わる一日……2026年現在、私たちの生活はごくごく自然にデジタルと同化しています。とくにMZ世代と言われる若年層にとって、スマホを脇に置くことは休息を意味するものではなく、時に「社会に置いていかれる」ような、言いようのない不安を伴うものでした。
そのためここ数年は「デジタルデトックス」という言葉に象徴されるように、デバイスを物理的に遠ざけることがセルフケアの1つの定番とされてきました。しかし今、自分を守るために、あえてデジタルの奥深くへ潜り込む「Digital Escapism(デジタルエスケーピズム)=デジタルへの逃避」という選択肢が生まれ、注目されています。
デジタルに対する「遮断」と「没入」。根っこでつながる双子のセルフケア
「デジタルデトックス」と「デジタルエスケーピズム」。一見すると「断つ」と「逃げ込む」という正反対の意味に思えますが、実はその目的は似ています。どちらも「現実のストレスからの解放」のための、双子のトレンドとも言えるでしょう。
• デジタルデトックス(Digital Detox)
手法: スマホを置く、アプリを消す、電波のない場所へ行く。
考え方: 「デジタルの過剰摂取がストレスである」とし、そこから物理的に離れることで人間らしさを取り戻そうとする動き。
• デジタルエスケーピズム(Digital Escapism)
手法: ゲームの世界に没入する、ASMR動画で癒やされる、メタバースで別の自分になる。
考え方: 「厳しい現実がストレスである」とし、デジタルの力を借りて、より心地よい「別の現実」へ逃げ込む動き。
スマホを置いて、電波の届かない自然へ向かうデジタルデトックスがデジタルに対する「引き算のケア」なら、自分を癒やすデジタルコンテンツに没入して、心地よい別世界へ逃げ込むデジタルエスケーピズムは「足し算のケア」とも捉えることができます。デジタルを敵として排除するのではなく、自分を癒やすための一種の “シェルター” として使いこなす。そんなしなやかな価値観が広がり始めています。
具体的な「デジタルへの逃避」とは
かつてのデジタル利用は「情報収集」が主な目的だったのに対し、「デジタルエスケーピズム」では「デジタルに浸る」ために行われます。たとえば、
・空間を書き換える没入体験:
Apple Vision Proなどの空間コンピュータ(MRヘッドセット)を使い、生活感のある自室を一瞬で「静寂な雪山」や「波打ち際」へと塗り替えます。物理的な壁を取り払い、視覚と聴覚を完全に心地よいフィクションで満たすことで、現実のストレスから心を解放する体験です。
・低刺激なインプットとアウトプット:
鮮やかすぎる液晶を離れ、Kindle ScribeやreMarkableといった電子ペーパー(E-ink)の端末で “紙に書く” ような感覚で思考を整理する行動です。デジタルの便利さは手放さず、「脳への刺激だけをデトックス」するような、スローな時間が支持されつつあります。
・意味を持たない癒やしコンテンツ:
誰かが淡々と野菜を切るASMR、AIが今の気分に合わせて生成するEndelの環境音、焚き火がパチパチと燃える音、etc……。ストーリーや他者の評価を追いかけるるのではなく、意味のない時間をあえてデジタルで作ることで意識的にボーっとする時間を過ごすこと。
インサイト分析:なぜ「両立」が必要なのか
ではなぜ今、デジタルに対する遮断と没入というハイブリッドな形が求められるのでしょうか。
それは、現代人にとってデジタルが「体の一部」になってしまったからだと考えることができます。完全に剥がそうとすれば痛み・不安が伴う。とするならば、デジタルに浸る深さや速さを自分でコントロールするほうが、結果として持続可能な心の平安に繋がる、という考えです。
これは、従来の「現実が本物で、デジタルは偽物」という二元論からの脱却でもあるでしょう。自分にとって心地よい空間であれば、それがデジタルであっても「真実の癒やし」になり得るという割り切りこそが、MZ世代の新しい価値観かもしれません。
かつて、現実から目を逸らすことは「現実逃避」としてネガティブに捉えられてきました。しかし、今の世代にとっての逃避は、自分らしさを取り戻すための積極的な選択に近い感覚です。
リサーチャーの視点:どうやってセルフケアするかは、もはや論点ではない
現代の、延々と流れるデジタルに対峙するときに大切なのは、「流されている」のか、それとも「癒やされるために選んでいる」のか、という小さな意識の差です。
Z世代が求めているのは、一概にスマホから離れることではなく、「今、私はどの世界に、どのくらいの深さでいたいのか」を自分で決める主導権なのかもしれません。
デジタルネイティブな世代にとって、休息や癒やしをどのフィールドで得るのかは重要ではなく、ただ選択肢が広がった感覚にすぎません。重要なのは、その後に現実に戻ってくるために踏ん張れるか、という点であり、どの時代にも通じる普遍的なテーマなのだと思います。
現実・デジタル問わず、うまみを享受・消費するのみではなく、どうしたら自分たちが戻りたくなる現実を作れるのか。これは、この先Z世代が大人になるにつれ向き合わなければならないテーマかもしれません。

